AI動画の質感を左右する「光」について

AI動画の質感は、解像度よりも、画面の中で光がどう変化しているかに左右されるのではないか。最近、そんなことを考えています。

家も、猫も、小道具もきちんと生成されている。画面も鮮明です。それなのに、画面全体がのっぺりして見えたり、きれいすぎて少し気持ち悪く感じたりする。こんなことはありませんか?

私が「AIっぽい」と感じていた理由の一つに、均一すぎる光がありました。

現実の光は、画面の端まで同じ状態ではありません。窓や木の葉に遮られ、床や壁に反射し、毛や木、ガラスに当たるたび、明るさも色も少しずつ変わります。

その細かな変化が減ると、形はできているのに、物や空間がそこに存在している感じまで薄くなるように見えるのです。

きれいなのに、のっぺりして見える

生成された映像を見て、「別に崩れてはいないんだけど、何か違う」と感じることがあります。

被写体の正面から背面まで同じように明るい。床にも壁にも光が回り、影の中まで均等に見える。ノイズが少なく、表面もなめらかなので、一見するとよくできています。

ただ、画面のどこを見ても明るさの変化が少ない。猫と背景の距離も、部屋の奥行きも弱く見えます。きれいに整っているのに、空間だけが浅いのです。

以前は、こうした違和感を「AI動画だから」とまとめていました。最近は、そこで光を見るようになりました。どこから来た光なのか。何に遮られ、どこへ反射したのか。それを考えてみると、画面がのっぺり見える理由を探しやすくなります。

光は物に当たるたび変わっている

私たちの周りには、光だけでなく、たくさんの物があります。

窓から入った光は床に落ち、床から壁や家具へ返ります。机の脚の裏側には影ができても、近くの壁から返った光がわずかに入る。木の葉が揺れれば、床に落ちる明るさも細かく動きます。

明るい場所と暗い場所の間に、一本の境界線を引ける場面もあります。それでも、明るい側がすべて同じ明るさになるわけではなく、影の中がすべて同じ暗さになるわけでもありません。実際に見えている世界は、細かなグラデーションの連続です。

ところが、画面全体へ同じ強さの光が回ると、この変化が少なくなります。被写体の形は分かりやすくても、光が空間の中を通った跡が見えない。私はそこに、現実の光とは違う不自然さを感じています。

「縁側の種飛ばし競争」で消えていた夏

『縁側の種飛ばし競争』という動画の参照画像を作っていたときにも、光が気になりました。

舞台は、昭和後期に建てられたような木造の平屋です。真夏の午前、トラとクロが縁側に座り、スイカの種飛ばしをする。古い家ではありますが、陰気な場所にしたかったわけではありません。おばあちゃんの家で過ごす、明るい夏休みの時間を描きたかったのです。

ところが、最初に作った参照画像は全体の彩度が低く、庭も縁側も室内も暗く濁っていました。家や猫は生成されています。スイカもあります。それでも、そこに真夏の午前が見えませんでした。

そこで次の画像では、庭に午前十時半ごろの直射日光を入れ、軒下の縁側には庭と空から返る光を残しました。室内は縁側より暗くする。ただし、黒く潰さない。庭には木の葉がつくる軽い影を落とし、毛先にも庭からの反射光が入るようにしました。

構図や猫の大きさも同時に直したので、光だけを変えた比較ではありません。それでも、この制作で「夏の小道具を置くだけでは、夏の時間にはならない」と気づきました。

最初の参照画像

夏らしい明るさを見直す前の縁側と二匹の猫の参照画像
庭・縁側・室内の明るさの差が弱く、真夏の午前には見えにくかった画像です。

光を見直した参照画像

庭の直射日光と軒下の反射光を見直した縁側と二匹の猫の参照画像
庭の直射日光、軒下へ回る反射光、暗い室内を分けました。構図と猫の大きさも同時に直しているため、光だけの比較ではありません。

明るい庭と、軒下の縁側。その奥にある少し暗い室内。ひとつの画面に明るさの異なる場所があるからこそ、外の暑さと、縁側の涼しさが一緒に見えてきます。

毛、木、ガラスは同じ光り方をしない

光の違いは、空間だけでなく、物の質感にも表れます。

猫の毛は、平らな面のようには光りません。光を受けた毛先が細く明るくなり、毛の重なった内側には影が残ります。木の床は、ガラスほど強く光を返さない。風鈴のガラスには、周囲の景色や空の色が小さく映ります。

ところが、すべての物が同じ明るさで、同じようになめらかに光っていると、毛も木もガラスも似た質感に見えてきます。表面の模様を細かくしても、それだけでは物の違いが出ません。

私が質感として見ているのは、テクスチャの細かさだけではないようです。その物が光をどう受け、どこへ返しているか。そこまで見えたときに、毛は毛に、木は木に見えてきます。

「cinematic lighting」と書く前に考えていること

動画生成のプロンプトに「cinematic lighting」と書けば、見栄えのする光が出ることはあります。ただ、その一言だけでは、場面に必要な光まで決まりません。

光源はどこにあるのか。光と被写体の間には何があるのか。床や壁から、どんな色の光が返ってくるのか。私は最近、光の名前を指定する前に、画面の中で光が通る道を考えるようになりました。

均一な光が、いつでも悪いわけではありません。曇り空や、静かで抑えた場面なら、広く回った光が合うこともあります。気になるのは、光が均一かどうかだけではなく、描きたかった時間や季節、空間に合っているかです。

真夏の縁側を描きたいのに、どこも同じように暗い。静かな曇り空を描きたいのに、被写体の輪郭だけが劇的に光っている。どちらも形はきれいでも、制作者が見せたかった場面からは外れてしまいます。

画面がのっぺりして見えたとき、解像度を上げたり、質感を表す言葉を足したりする前に、光がどこから来て、何に当たり、どこで変わっているのかを見直してみる。

AI動画の質感を考えるとき、私はそこから始めることが増えました。

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光や材質の選び方が作品全体の空気へどうつながるかは、「AI動画の「世界観」は、どこから生まれるのか」で考えています。